『 いとしい人 ― (2) ― 』
パン ッ !
真っ白に洗いあげたリネンを 両手で広げる。
「 う〜〜ん すっきり洗えたわね〜
いいお天気だし ― この分ならパリっと乾くわ 」
彼女は空を見上げ にっこりした。
「 ここは本当に暮らし易い地域ね。
それにこのお家はとてもよくできていて 気持ちがいいわ。
お庭も広いし・・・ 特にこの洗濯モノ干し場は最高だわ 」
パチン パチン パチン。 洗濯ハサミでしっかり留めて。
洗いあげたタオルやらリネン類を乾してゆく。
「 う〜〜ん いいわねえ この眺め〜〜
ロンドンでは こんな天気の日ってあまりなく て ・・・ 」
あ ・・・? ロンドンの空って
・・・ どんな色 だっけ?
空 ・・・? そ ら ・・・
「 ・・・ 」
突然 得体の分からない不安が湧いてきた・・・
「 え ・・・ 私の故郷の空は ・・・ 空 は 」
しっかりと顔を上に向け 水色の空の向うに故郷を思い浮かべて ・・・
・・・・・ !!!
突如 真っ暗な閉鎖された空間が < 見えた >
これが お前の故郷の空 だろうが!
「 ! ・・・ そんな ああ でも・・・ でも! 」
真っ暗な闇の奥に ぼう〜っと薄暗い灯がともる。
その回りに 多くのヒトが蠢いている。
・・・申し訳程度に布を身体に巻きつけ 皆 無言だ。
虚ろな瞳 生気のない目 投げやりな眼差し ・・・
― 次は 誰の番 ・・・?
ぶるり と身体を震わせ 皆 ますます縮こまり
その日 をただ ただ 恐れている だけ。
我々は 食用肉 だから
あの鉄格子が開く時は 誰かが < 使われる > のだ。
「 ウソよっ!! そんなこと ウソ ・・・ 」
パンッ !!! なにかがアタマの中で弾けた。
「 ・・・ う ・・・ 」
カタン。 彼女は モノ干し場で思わず 膝を突いてしまった。
カタカタ カタ ・・・!
サンダルの足音が 駆け寄ってきた。
「 ヘレンさん!!! どうしました?? 」
大きな手が そっと彼女の背を支えてくれた。
「 ・・・ あ ・・・ ジョー さん ・・・ 」
「 気分 悪いですか? あ 無理に立たないで・・・ 」
「 ・・・ ご ごめんなさい・・・・ 大丈夫・・・ 」
「 でも 眩暈? 」
「 え あ そう あのう あんまりお天気がよくて
気持ちいいので お日様 見てたら ・・・ 眩しくて 」
「 まぶしい?? 本当にそれだけですか 」
「 ええ ごめんなさい ご心配かけて ・・・
うふふ あのね ロンドンってなかなかこんなに綺麗に晴れた日って
ないんです。 ここは ・・・ 素敵ですね 」
「 そう ・・ ですか 本当に大丈夫? 」
「 はい。 ほら 〜〜 お洗濯モノ〜〜
きっちり乾せましたわ。 いい眺め 〜〜〜 」
彼女はしっかりと立ち上がると 物干し場に向かって両手を広げた。
「 ああ そうですね。 今日は天気がいい ・・・ 」
「 素敵なトコロに素敵なお家があって・・・
ジョーさん 幸せですね 」
「 あ ・・・ あ〜〜 確かにここはいい土地柄です。
あのう もう本当に大丈夫? 」
「 はい。 元気です! 」
「 そっか よかった ・・・
あのう すみません ぼく、午後から出かけます。 」
「 え お出かけ・・・? ジョーさん だけ? 」
「 アルベルトも出掛けます。 一週間はかからない と思うけど 」
「 え 一週間? ・・・ 国外? 」
「 ウン。 ぼくは フランスからアフリカへ
アルベルトは国内だけど ちょっといろいろありまして 」
「 そう ・・・ お仕事ですのね?
あの ・・・ アルベルトさん って ちょっと怖いわ 」
「 ・・・ 彼の手のこと? 」
「 手? いいえ そうじゃなくて・・・
なんか・・・ 私のこと、嫌いみたい。 」
「 え そんなこと ないですよ 」
「 ・・・ だっていつも不愛想だし ・・・
それに ・・・最初に会った時から 私のこと、気に入らないみたい 」
「 あ 〜 もともと誰にも不愛想なヤツで 」
「 ・・・ 疑ってるわ 私のこと 」
「 疑う?? 」
「 ええ ・・・ なにかの目的があってこのお家に
入り込んできたのだって ・・・ 」
「 なにか言われた? 」
「 いいえ ・・・ だってほとんど口をきいてくれないもの 」
「 ・・・ すいません。 悪気はないんです。
ただ ・・・ これまでにいろいろと あったので ・・・
疑心暗鬼になってて 」
「 いいんです だって私 ・・・ ジョーさんに拾ってもらったんですもの
疑われて当然です 」
「 拾った だなんてそんな 」
「 だってその通りでしょ? 」
「 そりゃ ・・・ まあ そうだけど 」
「 いいんです ― ジョーさんが 信じてくださるなら 」
「 え あ あは ぼ ぼくは信じてます ! 」
「 ・・・ ありがとうございます ・・・・
あの ちゃんとお留守番してますから 」
黒目がちな瞳が まっすぐにジョーを見つめた。
「 ・・・ あ うん。 留守を頼みます 」
「 はい。 ここのキッチンは素晴らしくて ・・・
私でも簡単にお料理ができてとても楽です。 」
「 いやあ ヘレンさん、料理お上手ですよ
あ ほら この前作ってくれたクッキー、ピリッとしてて
とても美味しかったです 」
「 あ 気に入っていただけましたか?
嬉しい! あれはジンジャー・ビスケットなんです、
・・・ 父の大好物なの。 父の ・・・ 」
すうっと 笑顔が曇った。
「 ・・・あ すいません ・・・ そのう〜 」
「 ご ごめんなさい ・・・ どうぞ気になさらないで・・・
あ 気をつけて行ってらっしゃい 」
「 う ・・・ ん ありがとう ・・・
なんか ・・・ いいな いってらっしゃい って
言ってもらえるって ・・・ 」
「 ・・・・ 」
彼は はにかんだ笑顔を残し 出発していった。
ふ・・・ふふふ ・・・
かなり いいセン、ね?
好印象じゃない?
― さあ 次は。
こちらは 正攻法で行くか・・・
ふ ふふふ ふふふふ ・・・
彼女は 慎ましく伏せた視線の下でほくそ笑んでいた。
「 あのう ・・・ お気に召しました か 」
朝食の席で 彼女は心配そうに博士に尋ねた。
「 あ? ああ ああ とても美味しいですよ。
いやあ〜 ポーチド・エッグとは 懐かしいですなあ 」
博士は 熱心に食べていた手を止めた。
「 まあ よかった・・・ !
・・ あの 父が好きだったメニュウを作ったのですが 」
「 おお〜〜 ドクター・ウィッシュボンが?
それは それは〜 このトーストも彼の好みですかな 」
「 はい。 パリっと焼いたのがいい って 」
「 いやあ 懐かしい味です。 とてもウマイですよ 」
「 嬉しい! ありがとうございます。 」
「 ・・・ 父上の論文にはかねてから興味を持っていました 」
「 まあ そうなですか! 」
「 先日の ○○についても・・・ 是非 お話したいと 」
「 あの 私も父の研究室の一員なんです。
ほんの少しですけど ・・・ 父の論文のデータを集めるとか・・・
手掛けているのです 」
「 おお ・・・ 貴女も?? それはすごい 」
「 いえ ・・・ ほんの少しですわ 」
「 いやいや では ○○の仮説については 」
「 父の仮説は 」
彼女は歯切れのよい口調で 理路整然と語る。
「 ・・・ ほう? 貴女はお父上の研究を本当によく
理解なさっている ・・・ ! 」
「 いえ ・・・ そんな ・・・
あ 父の受け売りですわ 」
「 いやいや ・・・ 先ほど △△のチャプターについては
貴女自身の見解を述べられましたね 」
「 ・・ やだ お判りになりました? 」
「 ワシは お父上の論文を全て ― 公表されているものだけですが
検証していますのじゃ 」
「 まあ ・・・! では 父の、いえ ドクタ―・ウィッシュボンの
理解者 でいらっしゃいますのね 」
「 ふむ お父上の研究全容にとても興味がありますな。
それと同時に ミス・ヘレン。 貴女の論説にも じゃ 」
「 え 私の?? 」
「 貴女も将来はお父上の跡を継がれるかの? 」
「 そう願っています が 」
彼女の表情がさっと曇った。
「 ・・・ おお これは ・・・ 心配させてしまったな
ドクタ―・ウィッシュボンの○○○についても ご存知かな 」
「 はい。 ○○○への検証は 」
「 ふむ ふむ ・・・ 」
娘は淀みなく話し始めた。
・・・ 大層な知能の持ち主じゃな
さすがドクタ―・ウィッシュボンの娘御じゃ・・・
研究所の助手、と言っておったが
どっこい主席研究員 だろう
ウィッシュボン博士の研究について語り合い ―
ドクター・ギルモアは すっかり彼女を信用してしまった。
― それ故 あまりに流暢すぎる話ぶりを 疑うことも なく。
― 時間は少し 先になる。
カタカタカタ ガヤガヤ ガサガサ
その大部屋楽屋は賑やかだった ― 昨日までに増して・・
「 う〜〜〜 いたたた・・・ 」
「 大丈夫? 」
「 だ 大丈夫 にする! もう今晩がラストだから ! 」
「 あ〜〜〜 そうよねえ やっと終わる〜 」
「 はあ ・・・ 長かったわ 」
「 ん ・・・ 」
「 フランソワーズ ! 新人さ〜〜ん 感想は?? 」
「 え ・・・ もう夢中で ・・・
でもでも と〜〜〜っても楽しかったデス〜〜
オーディション合格から ずっと夢みたい〜〜
ここの バレエ・ホールで踊れるなんて・・・! 」
ふふふ あはは きゃらきゃらきゃら
楽屋中が 温かい笑い声でいっぱいになった。
「 あ〜あ ・・・アタシにもこんな頃があったんだよなあ 」
「 あら ついこの間でしょう? 」
「 気分はもう百万年前〜〜 」
「 ここから ソリストになってエトワールを目指すの アタシ達 」
「 う〜〜〜 道はまだまだ遠いってわけ ・・・ 」
「 でも! 歩き始めたんだもの。 行くっきゃない! 」
「 うん。 ― 今夜の楽 ( 千秋楽 ) で また一歩
ってわけよ フランソワーズ 」
「 ・・・はい。 ああ 踊れるって ― 最高だわ 」
「 さ〜あ 今宵の準備 仕上げましょ 」
「 だこ〜〜〜 ( 了解 くらいの意味 ) 」
うふふふ ふふふ くすくすくす ・・・
女性ダンサーたちは 笑いさざめきつつ 本番直前の準備を始めた。
ああ ・・・ ここまで 来たわ
わたし 夢の舞台に立てたんだ・・・
ダンサーとして 生きているんだわ!
トントン ― 楽屋のドアが鳴る。
「 はあい え? ああ メルシ〜〜 誰宛かなあ・・・? 」
ドアに近い化粧前から 一人が立って届け物を受け取った。
「 ・・・ ん? ああ
フランソワーズ〜〜〜 ファン・レター と お花よぉ 」
「 え??? 」
「 ふふふ〜〜 彼氏からかなあ〜〜 はい。 」
「 え あ はい・・・ ありがとうございます。 」
フランソワーズは 怪訝な顔でそのピンクの薔薇を眺めた。
「 あらあ 素敵ねえ〜〜 」
「 可愛い! フランソワーズにぴったり♪ 」
同僚たちは明るく声をかけてくる。
千秋楽の華や気が 楽屋にも溢れているのだ。
「 え ・・・ええ ・・・ 誰から・・・ 」
彼女は 花束に付いてる小さなカードを手に取った。
きみの舞台姿 楽しみにしています。
終演後 会えますか。 楽屋口でまってます
J
「 ・・・? J ・・って 誰。 」
知り合いの顔を思い浮かべてみた。
「 J ・・・で始まる名前のヒトって ・・・ いたかしら 」
この街に戻ってきてから バレエ・カンパニー以外での知り合いは
ほとんどいない。
いや 意識的に知人 友人 は作らなかった。
「 ・・・知らない ヒト・・・? 」
・・・ あ 。
「 ま さか ・・・ そんな はず ・・・ないわ。
もう関係ないもの 」
目の奥に浮かんできた あの茶色の瞳 あのはにかんだ笑顔 を
彼女は あわてて打ち消した。
そ そんなはず ないわ。
知らないヒトたちよ?
・・・わたし 縁を切ったの!
だって わたし。
わたし ニンゲン だもの。
少しだけ手が震えた。 一滴だけ涙が目尻に溜まった。
「 ・・・・ 」
彼女は 花束を自身の化粧前に置くと ぴりり・・・とカードを裂いた。
― ピンクの薔薇さん?
待っていてね
最高の踊りを踊ってくるから。
そして 一緒に帰りましょう
「 あら どうしたの カード? 」
隣の席から 怪訝な視線が飛んできた。
「 あ ええ・・・ なんか知らないヒトなの。 」
「 きっとフランソワーズのファンなのよ〜〜〜
ピンクの薔薇 なんてシャレてるわあ 」
「 ・・・ お花は 好き。 嬉しいけど ・・・ 」
「 まあね ・・・ 気を付けるに越したことはないけど 」
「 ええ ・・・ 」
コンコン カタン。 楽屋のドアが開いた。
「 お嬢さん達? 仕上げはよくて。 あと5分で二ベルよ。
千秋楽 お願いね〜〜 」
中年の女性が 入ってきて声を掛けた。
バレエ・カンパニーの 芸術監督を務めている。
「「 はあい マダム 」」
ダンサー達は 元気よく返事をし 仕上げ具合をそれぞれ点検するのだった。
「 ん〜〜と ・・・ よし っと 」
「 あ あれええ?? 袖が片方 ・・・? どこ〜〜 」
「 ロザ、 これ ちがう? 」
「 あ! それ! ありがとう〜〜〜 マリ〜〜 」
「 いっけない ルージュ る〜〜じゅ〜〜〜 」
「 フランソワーズ? ・・・ 緊張してる? 」
「 ・・・え あ 大丈夫です ・・・ はい。 」
「 さあ 行くよ〜〜 」
カタカタ カタカタ ・・・ ダンサー達は楽屋を出てゆく。
「 ・・・ 」
フランソワーズは きゅっと唇を結ぶと鏡の中を見つめた。
さあ。 ゆくわ ・・・ !
夢が叶ったのよ フランソワーズ!
今回の成功をバネに もっと上を目指すわ
千秋楽 !
思いっ切り 踊るわ !
彼女は 落ち着いた足取りで舞台袖に向かった。
り〜んご〜ん ・・・・ り〜んご〜〜ん ・・・
開演を知らせるベルが 劇場内に響き渡る。
千秋楽の幕が 開く。
おめでとう〜〜 お疲れさま〜〜〜〜 の声の中
出演者たちは 頬を紅潮させ 声を上ずらせ 帰ってゆく。
「 ありがと〜〜 お疲れ〜〜〜 」
「 うふふ メルシ〜〜〜〜 」
「 きゃ ・・・ ああ 嬉しい〜〜〜 」
「 レッスンでね〜〜 あ〜〜 明日は休み(^^♪ 」
「 お疲れ様でした〜〜 ありがとうございました〜 」
「 フランソワーズ〜〜〜 よかったわよ 」
「 ありがとうございます 」
主宰者 舞台監督 先輩 そして 同僚たちに
挨拶をし フランソワーズは静かに楽屋を出た。
はやく帰ろう ・・・
「 お先に失礼します 」
彼女は 花束を持ち足早に楽屋口を出た。
― 誰も 待ってはいなかった。
「 ・・・ あ ・・・ 」
安堵感と淋しさとを一緒くたに呑みこんで
次の角を曲がったとき。
「 ― やあ 」
茶色の髪が 茶色の瞳が 彼女に微笑かけた。
「 ・・・ ! ・・・ 」
彼女は思わず 花束で顔を隠した。
「 あ その花 ・・・ 気に入ってくれた かな 」
「 ・・・ 」
「 舞台 見たよ。 すごいなあ〜〜〜
きみが踊るのって初めて見たんだけど ・・・
キレイだった ・・・ そのう ・・・・ 羽根のある妖精みたい 」
「 ・・・ 見てて くれたの 」
「 うん。 チケット、後ろの方の席しかなかったんだけど
きみのこと、すぐにわかった 」
「 ・・・ そう ・・・ 」
「 あ ・・・ ごめん。 ぼくだけべらべら喋って ・・・ 」
俯きがちに口を閉じている彼女に 彼はようやく気付いたらしい。
「 ・・・ 」
「 ごめん ・・・ 挨拶もしてなかった ・・・
久し振りですね、元気だったかな フランソワーズ さん。」
「 ・・・ ジョー ・・・ あの ・・・
あ これ ・・・ このお花 ありがとう。 」
彼女はピンクの薔薇の陰で やっと顔を上げ 彼を見た。
「 ああ ・・・ よく似合うね その花 ・・・
きみにぴったりだ ・・・ 」
「 そう? お花をいただくなんて 初めて・・・
あ 舞台 見てくださってありがとう。 嬉しいわ 」
「 ぼく バレエとかよくわからないんだけど ・・・
でも ・・・ なんてキレイなんだってぼう〜っとしてしまったよ。
あのまま ふわふわ飛んでゆくんじゃないかなあ って
本気で思った 」
「 ありがとう ・・・ まだコールドだけど ・・・
いつかはエトワールを踊れたら って思うわ 」
「 えとわーる って 真ん中で踊るヒト? 」
「 そうよ。 主役。
わたしの子供の頃からの夢なの 」
「 そっか ・・・ うん そうだよね ・・・ 」
彼の口調が 少し重くなった。
とくん。 彼女の胸の奥が一瞬疼く。
「 夢だから そのう ・・・ 無理 かもしれないけど 」
「 ! そんなこと ない。 きみはきっと きっと
目標を実現できる よ きっと ・・・ 」
「 ・・・? 」
歯切れの悪いその言い方に 彼女はますます不安になる。
「 ― あ 〜〜 少し散歩しようか
それとも どこか ・・・ カフェとかあるかなあ 」
「 それなら 散歩しましょう。 セーヌに沿ってプロムナードが
あるわ。 」
「 へえ ・・・ じゃ そこ 行こうか。
歩きながら ― 話があるんだ 」
「 ・・・ 」
彼女はだまって頷くと 目的の方向に足を向けた。
カツカツカツ コツコツコツ ・・・
街灯の影を拾うがごとく ゆっくりと二人は歩いてゆく。
彼は先ほど一旦 言葉を切ってから口を結んだままだ。
彼女は 顔も上げず口も開かない。
ほの暗い灯が 彼女の横顔にますます深い陰を落とす。
「 ・・・ というわけなんだけど ・・・ 」
やっと彼が 言った。 そして足を止め彼女を振り返る。
「 きみは 」
「 ― 行かない。 」
彼女も立ち止まり はっきりと言った。
「 ・・・ え ・・・ 」
「 行かない。 わたし 行かない わ。 」
「 ・・・ そっか ・・・ 」
「 舞台 見たって言ってくれたわね ― わかったでしょ?
わたし やっと夢へのチケットを手にしたの 」
「 ・・・ うん 」
「 それに ― もうあの世界は たくさん。 」
「 ・・・ うん 」
「 絶対に 行かない。 」
「 ・・・ うん わかった。
きっと ・・・ きみはそう言うと思ってた 」
「 ・・・ え ・・・? 」
「 一応 声をかけようと思ったんだ。
でも 舞台でのきみを見てはっきりわかった。
きみは もうちがう世界のヒトだ・・・って 」
「 ・・・ ジョー ・・・ 」
碧い瞳が はっきりと彼を見つめた。
「 きみの夢は きっと叶うよ。 頑張ってくれたまえ。
陰ながら応援しているよ 」
「 ・・・ ジョー ・・・ 」
「 もう会うこともない と思うけど。
・・・ あの服で銃を手にするきみより
踊っているきみがずっとずっとステキだ。 そんなきみが 」
「 ・・・ 」
「 ぼくは 好き だよ 」
街灯の下ですら 彼の顔に浮かぶ笑みは 明るく輝いて見えた。
「 ― ジョー ・・・ 」
「 今夜は ありがとう。 一生忘れない。
さようなら。 もう 会わない。 」
コツ。 彼は踵を返しただ真っ直ぐに歩いて行った。
暗い光の中に その姿が 遠ざかってゆく。
ちょっとだけクセのある その歩き方はこれが見納め か ・・・
カツン。 彼女も振り返り俯いた。
コツ コツ コツ コツ ・・・・
懐かしい足音が だんだんと小さくなってゆく。
夜の闇の中に 茶色の髪が吸いこまれてゆく。
あの音は もうすぐ聞こえなくなる
あの姿は もう見えなくなる
もう 会えない もう 見えない もう いない もう ・・・
・・・ いいの? フランソワーズ。
これが アンタの望み なの
これが アンタの夢の果て なの?
フランソワーズ !
あなたの 本当の 望みは
カッ! コツ コツ コツコツコッコッコッ !!!
彼女の足は 彼女の意志を待たずに勝手に駆けだしていた。
彼女の眼は 勝手にあの後ろ姿を追っていた。
「 ・・・ ま 待って! ジョー !!! 」
― そして 003は仲間たちと合流した。
「 ・・・ まあ。 ギルモア博士〜〜
ジョーさんから連絡ですわ 」
ヘレンは声を張り上げた。
「 おう お嬢さん ヤツからメールが来ましたか 」
「 はい。 あ このリビングのPCは 使っていいって・・・
ジョーさんが 」
「 ああ それはこの家の共有のPCですからな
ご自由にお使いなさい。 で ヤツはなんと? 」
「 あ これです ほら メール 」
彼女は モニターを指した。
博士は よっこらしょ、と椅子に座った。
「 ほうほう・・・? おお フランソワーズが来るか 」
「 ― フランソワーズさん と仰るのですか
あのう ・・・ フランス人の方 ? 」
「 うむ 他にもなあ いろいろ・・・ 集まってきますよ。 」
「 ・・・ 私 ここに居ても ・・・ いいのですか。
お邪魔でしたら あのう・・・ロンドンに戻ります 」
「 いやいやいや〜〜 ここにいらしてください。
ドクタ―・ウィッシュボンのお嬢さんを 危険には曝せん 」
「 危険 ・・・? 」
「 そうです。 ヤツらは ― 貴女を狙っています。 」
「 え。 私?? まさか ・・・
だって目的は父の研究ですわ。 私はただの研究員です 」
「 いや。 貴女は利用価値があるのですよ ヤツらにとって。
ああ もうこんな話 やめて・・・
フランソワーズが来ると この邸も華やかになります 」
「 私 ・・・ ご迷惑にならないように・・・
あら? 赤ちゃん 泣いてる かも 」
彼女は奥に向かって耳を欹てる。
「 うん? ・・・ おお そろそろミルクの時間かな 」
「 あ 私 やります。 やらせてください。
ふふふ ベビーシッターのバイト、してましたから。
任せてくださいな。 ミルクの缶はキッチンですね 」
「 すまんですね お願いします 」
「 はい 」
薄い色素の髪を揺らし 彼女はキッチンに駆けていった。
「 ・・・ ヘレン・ウィッシュボン ・・・か 」
博士はしばらくその場に佇んでいた。
カタン カタン。 パントリーの扉を開ける。
「 え・・・っと? あ これね〜〜 ベビー・ミルク 」
手を伸ばし ミルクの缶を棚から取った。
「 哺乳瓶は〜〜 煮沸消毒済み っと。
で ・・・ どのくらい飲むのかなあ ・・・? 」
ふふふ ・・・ これは好都合だ。
裏切りモノは まとめて始末できる
「 !??? だ だれ ・・・? 」
不意に アタマの中で自分ではないモノの声が した。
カタン ・・・ ミルク缶のフタが 床に落ちた。
彼女は慌ててそれを拾いあげる。
「 なに? 私の心の中に勝手に入ってきて ・・・
出ていって! 出てゆけ 」
ふふん 偉そうに ・・・ 笑止。
黙れ トカゲのエサの分際が!
ズキン。
最後の言葉が胸に突き刺さる。
精神的、というよりも 肉体的な痛みが 胸を貫いた。
「 ・・・っ ・・・ なぜ こんなに心が痛いの?
とかげ ・・・って なに・・・? エサ ・・・?
ああ ・・・ 痛い 痛い 痛い ・・・ 」
陽のさしこむ明るいキッチンで 赤ん坊用のミルクの缶を抱きかかえ
淡い髪の女性が 蹲っていた。
Last updated : 04,20,2021.
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*********** 途中ですが
ヨミ編の中で あの93シーンは 屈指の名場面 だと信じています。
全作品の中で 最高〜〜〜♪♪
恐れ多くも解説を足す気分で 書かせていただきました。
・・・ で 続きます、 流れ星 めざして☆